第378回 「自分たちのサッカーができなかった」とは何か 論〜キャプテン翼世代のツッコミ・リスクヘッジ
2014年W杯。
グループ予選で惨敗した日本代表。
選手は皆、口にした「自分たちのサッカーができなかった」と。
一億総もやもや。
このコメントは一体どうゆう!?
様々なツッコミが飛び交った。
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・自分たちのサッカー とは何か。
自分たちのサッカーが「できなかった」じゃなく「できる」ことが総合的な強さなのでは。例えば人が何かを間違えた時「間違えました。次は気をつけます」とミスを認め次をめざすパターン or「チェックができなかった」と責任の所在を棚に上げる素振りでいつまでも置きかねるポーズのパターンはツッコミ・リスクヘッジ型。
・自分たち とは代表メンバーを指すのだろうが、メンバーひとりひとりが「自分たちのサッカーは○○である」と共有していたか。それともメディアやファンの視点を含んだサッカーのスタイルを指すのか。
・そもそも「誇り」などに見られる欧米の借り物の言葉なのか。
・もし 自分たちのサッカー ができて、負けたらいったいどうコメントするのか。
これは、「絶対に負けられない戦い」に続くポエム発言として2014年 ユーキャン 新語・流行語大賞 にノミネート‥は、されなかった。
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正直、彼らにしかわからない地平がある。それは言語化がたいへん難しい。難しいというより言語化に意味がない。言語化するべきものではなく、身体的だかこそ、カンドーしてんだろ!
しかしコメントという言語を求められるから、その地平からマスコミ向けに気持ちを翻訳しなければならなく、はたしてトランスレートされた言葉はやはりいっぺん通りの「自分たちのサッカーができなかった」というポエムになってしまう。それは本能的にポエムという解釈の余地がある希釈した言葉にしないと「通じない」ことが体験的にわかっているから。エゴや攻撃性や哲学を封じる。
というのは勝手な想像に過ぎない。
「自分たちのサッカーができなかった」という何が何だかわからない、5W1Hがぼんやりしてるモヤモヤ感は消えない。
モヤモヤしていたところ、ひとつの回答に出会ってしまった。
「キャプテン翼」(1981〜)のセリフ。名門・修哲小学校が弱小チーム南葛に追い込まれた時のセリフ。
若林くん
(あわてるな!)「俺たちは俺たちのサッカーをすればいいんだ!」
ここにルーツがあった。
「俺たちのサッカー」は自意識そのものでもあり、免罪符でもある。サッカーまんがのバイブル、キャプテン翼を通らないサッカー選手はいない。この原体験が思わず口に出てしまったのは避けられない。
最後に、
「キャプテン翼」OP/EDが沖田浩之ということを記しておきたい。鼻にかかった艶っぽい官能歌唱法は、THE WORLD FOOTBALL ANTHEMなどカラッとした南国ミュージックより、アジアのじめっとした逞しさをよく表してると思うのだ。
AH 〜Eきもち
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