偏見おじさんの 知的な痴的な偏見エッセー

@偏見おじさん said「偏見」という言葉に対する偏見を一旦忘れて。 偏見=物事のひとつの見方という立場から始めないと、何も始まらない。

第356回 意外と面白かったポッドキャスト 論(2)〜スタア宝田明/キネマの天地/山田太一

宝田明といえば、TBSラジオ954「爆笑問題の日曜サンデー」で披露した「ザギンで遊ぶ」昭和の豪遊エピソードでキャラ付けされたが、「宝田明のラジカントロプス2.0」でもその印象は変わらなかった。

ゴジラ」主演に抜擢されて「やったこれで飲み屋のツケを返せる。同期の平田昭彦(芹沢博士)と豪遊できる」と臨んだ撮影初日「バカヤロー主演はゴジラだ!」と照明にドヤされたこと。それからの制作のいきさつ。当時日本の人口9000万人そのうちの12%が「ゴジラ」を観たこと。原爆投下から9年、第五福竜丸事件から8ヶ月の1954に封切りとなったこと。当時アメリカでは水爆の恐怖等不都合な部分をカット。その20年後ノーカットで公開され衝撃だったこと。アメリカのゴジラフェスで各地を周った宝田明が熱狂的なファンに歓迎されたこと。

実際に「ゴジラ(1954)」を観た。宝田明は、主演なのに、驚くほど何もしない二枚目で驚いた。国会から詰められる志村喬マッドサイエンティスト芹沢博士にくらべ、婚約者のことしか頭にない呑気な役どころ。いや、これがスタアだ。名前に東宝の「宝」がはいっているのだ。
そうこうしていると、ゴジラが品川から上陸し、宝田明の遊び場、銀座は壊滅してしまった。

さて、昭和33年は興行収入がピークの映画最盛期。同時に赤線廃止の年でもあった。
「私たちはみんな赤線でお世話になった」と回顧したり、東宝のゴルフコンペの幹事をしていたり、また、ゴジラの証言者として数字やなんかのデータがパッと出てくるあたり、相手をグイグイ引き込む人たらしの片鱗が見て取れる。

トークは続き、当時の映画界の話に。東宝 松竹 日活 東映東宝 大映。同じ会社の中でも黒澤組、森繁の社長シリーズ、宝田明の大学生シリーズと監督・役者は縦割りであった。「大学生シリーズ」というのがいかにも宝田明的であり、後釜は加山雄三というのも納得。

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このエピソードが山田太一とリンクする。木下惠介の助監督時代を元にした作品は「冬の蜃気楼」「キネマの天地」ほかエッセイで多く語られている。華やかでエネルギーに満ちた映画界。撮影所で見聞きする人間のどうしようもなさを、やや距離を置いた、半ば野次馬感覚で描く。近著「月日の残像」では「冬の蜃気楼」の不可解な大人、敵役のモデルだろう「煙たがられている中年の助監督」や、木下惠介監督への愛憎が恥も外聞もなく記されている。
映画全盛の昭和33年。テレビ放送は昭和28年に始まっている。