第336回 ZOKU ZOKU 山田太一 論〜説明過多の件
「丘の上の向日葵」(1994)はとりわけ主人公のモノローグが多い。さらに山田太一作品を通した特徴として「説明的なセリフ」がやや批判的に指摘されがちである。
しかしそれらは、作品の本質を損なうものなのだろうか?
- 作者: 山田太一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1992/02
- メディア: 文庫
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誰が言ったか知らないが、
「物語の中で登場人物が心情なりを説明しちゃダメと論陣を張ることが「わかってるふう」な風潮」
が気持ち悪い。
そこだけで仕分ける、シャットアウトするのはなんともザルで残念。
そういうセルフ・ブランディングはどうでもよくて、素直に「生理的にきらい」と言えばいいのに。
そう言われれば、あなたの生理なんて誰も一生関心がないから。と言わざるを得ないが。
「意識高い系」という病 ?ソーシャル時代にはびこるバカヤロー? (ベスト新書)
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世の中には様々なタイプの作品があって「思いの丈をぶちまける(説明)する、ゴロンとした作品」もある。
当然、「説明的であること=行間がない」わけではない。むしろ行間だらけ。
酒、セックス、逆上、タクシードライバー、警備員、ラーメン屋、清掃局員、リストラ男。ゾクゾクする。ウルウルする。笑いが込み上げる。
声の小さな人間が、言いたいことを言う。
「昔から川崎だが、どうして東京に住みたいとは思わない。できればすみっこで生きていたい」(月日の残像)
「また遊んできたのか!おれはなあ、好き好んで毎日こんな狭い厨房にいるんじゃねえ!くそ、いい気になりやがって。今日は言うぞ!俺だって言いたいこと言うぞ!」(西寺実の父)