偏見おじさんの 知的な痴的な偏見エッセー

@偏見おじさん said「偏見」という言葉に対する偏見を一旦忘れて。 偏見=物事のひとつの見方という立場から始めないと、何も始まらない。

第297回 野次の品格 論〜IT化する都議会

女性都議へヤジ、抗議1千件 自民、発言者特定せぬ意向


「野次」という「言葉」が穢がされた。ヤジを吐いた都議は穢れ以前に終わっている。
野次という言葉は、これからは、偏見という十字架を背負うことになってしまった。残念でならない。

昔はよかったという回顧に辟易する事に偏見し、堂々と偏見し回顧すると、

昔の野球の野次はよかった。

しょんべんカーブだの軽いもの、ウケをねらうもの、人格を否定するドギツイものまで様々な野次は、あくまでその場の閉じた世界で完結していた。熱があるから、野次飛ばす親父は本気でストレスを吐き出し、選手は今の「スポーツ選手」的クリーンさとは程遠い、旅芸人的境遇を当然とした受難、そういうものだと。
対象に愛憎があるから野次を飛ばす。

さてところが、

意識が高く良識のある人々の説く言葉の裏にあるフェミニズムのことはよくわからない。
しかし野次という言葉にフォーカスし偏見すると、単に劣等感からくる痰壺にも関わらず、この事件によって野次という言葉は「眉を顰めるもの」となってしまった。文脈が途絶え、愛憎もなく、ガヤでもない、叩くためだけ。対象を上から目線で中傷する目的の言葉。泣かす事で征服感から性的興奮へ。これは、何かに似ている。匿名で叩いて逃げる(IT音痴の)ネット社会である。