第259回 「ふぞろいの林檎たち」史観の「いいともグランドフィナーレ」論(1)〜「ツッコミ」や「イイ話」に回収される前に
2014年3月31日
「笑っていいとも グランドフィナーレ」
わたしは、一週間経った今でもその熱にあてられている。
さっそく、TBS RADIO 954 JUNKやナイナイANN、ヤンタンなどラジオを中心に続々証言があがってきた。
このところ「社会が培った前提」の機能がわからず、やらせだの偽装だの突っ込んでギスギスしている、それは革命でも下からの突き上げでもアンファンテリブルでもなんでもない、PCに張り付いて外に出ないただの暇人の時間潰しではあるのだが、そんな昨今、昭和の伝統芸、予定調和の乱入劇をやった意義は大きい。
「ああそうそう!テレビってこんなドキドキするものだった」という再認識。
しかし気になるのは、130万回以上再生されているYouTubeの動画タイトル[放送事故]。そんな言葉一般人が言うなバカ!お前誰だ!?制作側も演者側も、そういった意味での[放送事故]なんて言葉を持っていない。クリック乞食のツールとして用いられてるだけのワード。テレビしか観ないとこうなるという悪例だ。
語る資格があるのは現場にいた人間だけ。その場に立ち会えるまでの努力、実力、運。彼らだけの矜恃なのだ。
だから、ローラには、存分に語っていただきたい。
うかつに触れられるものではない、その線引きがわかるかどうか。
さてそれでは、
われわれ一般人はどうしたらいいのだろうか。家族や友人、兄弟やいとこ、恋人や同僚と感想を述べ合うことは自由だ。