偏見おじさんの 知的な痴的な偏見エッセー

@偏見おじさん said「偏見」という言葉に対する偏見を一旦忘れて。 偏見=物事のひとつの見方という立場から始めないと、何も始まらない。

第254回 引越し 論(2)〜最初がカンジンカンジン血がジンジン


ブログを引越した。

実際の、住居を移動する、言うところのMOVINGは11回で、3年に1回という換算になる。

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実際の、人生のパートナーのMOVINGは、残念ながらそんなに多くない。
 

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実際の、引越し業務は、アート引越センターで予備校に通いながらバイトをしたことがあった。
1995年、予備校では難関校突破だとかポエムめいた言説と、都会から新幹線に乗ってやってきた不良講師が展開するオウムに対する持論が入り乱れ、

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一方、引越しバイトでは、パチンコとクルマと女に目がなく、福山雅治「Hello」を聴き、MA-1を羽織るヘビースモーカーの連中(れんじゅう)が無軌道ながらこの世の春を謳歌していた。
まったく、分断された日本社会をみるようで、貴重な体験であった。

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さておき、

コロコロ環境が変わる人が人がいる。オギャーと産まれたところで一生を過ごす人もいる。両者に違いはあるのだろうか。

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前者は器用で適応力がある。後者は芯があるイメージ。それは偏見だ。
例えばトラック野郎の桃さんは日本列島を飛び回りながら故郷を想う(サウダージ)。またあるいは寅さんは柴又に拠を置きながら異界への念で、外の世界へ飛び出す(アドベンチャー)。

1995 J-POP

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