偏見おじさんの 知的な痴的な偏見エッセー

@偏見おじさん said「偏見」という言葉に対する偏見を一旦忘れて。 偏見=物事のひとつの見方という立場から始めないと、何も始まらない。

第374回 一匹狼軍団 論〜組織に属するか、フリーを選ぶか

「一匹狼軍団」と大書したデコトラを見かけて、どっちなんだ!?と笑ったことがあった。
また、一世風靡セピアに「群狼」という曲があった。
笑いながら、ちょっと笑えないところもあり。この違和感はいったいなんなのか。


さて、例えば何か秘め事を行うには、行わざるを得ない時は、「場」の問題は重要である。足がつくからだ。
ひとつの打開策として「移動式」というのがある。

阿佐田哲也「ドサ健ばくち地獄」では、マンションを見学するふりをして、鍵をかけずに、鍵を不動産屋に帰す。深夜にそっと忍び込み、ばくちを打つのである。
組織がない連中は、「常盆」(決まった賭博)というスタイルを持つことができない。保障がないからだ。

また、「ブレイキング・バッド」はキャンピングカーで砂漠に出てメスを作る。シーズン5では害虫駆除業者と組んで一時的な空き家を使う。

両者とも組織がない。場を確保することで手一杯に。
しかしだからといって組織に属すと、シガラミがうまれる。権限がない。身動きがとれない。搾取される。

「ドサ健ばくち地獄」では、しばらく一夜限りのマンションばくちが続いたが、声を潜めなければならないし、出前も取れないので、一時しのぎに終わった。最終的にはメンバーの「自宅」に場が移るも、決着はつかず、死屍累々とコロされた連中の山が残るのみ。

ブレイキング・バッド」はキャンピングカーでうろうろしていたがこれはリスクが大きかった。一時的に「組織」に入り安定した「場」を持つことができた。しかし組織からコロされそうになり、逆にコロしてしまう。インディーズとして再出発。それから害虫業者と組む。その結果どうなるのか。わからない。なぜなら今観ているのはシーズン5の途中だからだ。