偏見おじさんの 知的な痴的な偏見エッセー

@偏見おじさん said「偏見」という言葉に対する偏見を一旦忘れて。 偏見=物事のひとつの見方という立場から始めないと、何も始まらない。

第368回 ひろったやまねこ 論(1)〜ずぶ濡れの雨の中で

ともすれば「聞いた」「落ちてた」「見た」「ひろった」「知ってる」という体験は実体験に聞こえるが、もしこれがすべてNET用語だったとしたら、空恐ろしくなるのはおれだけだろうか。
ネット上のあれこれを、実体験の言葉で語る気持ち悪さ。

猿でもググれる。猿でも反省できる。猿こそ手淫し続ける。

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子供の頃は、ネット上ではなくリアルなひろいものをよくした。いろいろなものがよく落ちていた。エロ本、花柄の魔法瓶、ラジカセ、がらくた。

通学路のその角は空き地で、よくゴミが投げ捨てられていた。向かいは友達のやっくんの家があった。彼は筒井康隆から名付けられた、なんともインテリで団塊な親だ。そして隣には扇風機にあたりながら寝て死んでしまった(とうちの親が言っていた)老人が住んでいた。

さてその空き地には、時に野良猫の死骸が放置されていてギョッとした。日に日に骨になってゆく。
ある日、カセットテープ24本ほどを収納できる、クルマに持ち込む用の取っ手のついた赤いビニール製のケースが捨てられ、中身が荒らされていた。雨でずぶ濡れだったが、何本か救出できそうなテープのうち、黄色いラベルの、いわゆる商品として売られているものがあった。

中島みゆき ベスト盤。

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